い。学校帰りの子供が一銭くらい出して飴湯などを呑んでいるのを見ると、改めて支那人の胃袋について奇異の感をいだく。衛生などということは支那人には全く意味のないものと見える。
日本の町の横筋は、小路といってもかなりの道幅があって、ここのようにせまくはない。支那の街は大通の横すじの町は自動車がはいると人などとても通れたものではない。どこへ行っても横町は極めて狭いのである。両側の家はぺちゃっとしたもので、壁みたいなものがつづいていて、そのところどころに入口だけが口をあいている。内部をのぞいてみるとどれも暗い家ばかりである。これではなるほど家の中で生活することが出来ないであろう。家の中は寝ることと食べるだけの用をするところであると言っていいだろう。日本の家のように陽あたりがいいというような室がない、だから住民はわざわざ食物を表へ持ち出してたべているらしい。
支那は石が豊富なのであろうか、どこへ行ってみても街は石だたみになっている。人力車にのると石だたみの上を走るからゆれ通しで苦しい。それに梶棒がやたらに長い。この車にのって行くと、仰向いて車の上で飛びあがってまるで大波にでもゆられて行くような
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