来た。
長い旅の経験のない私にとって一ヵ月といえば大へんなものであったが、顧みてほんの短い時日にしか思われぬのが不思議である。この年になって日本以外の土地に足跡を残したことは思いがけぬ幸いであったと言わなければならないだろう。
だがいま自分は日本に向かっているのだと思うと、やはり沸々とした心楽しさがあるように思える。エンジンの響きが絶えず郷愁のようなものを私の身体に伝えて来る。
「陸が見えますよ」
と、言う声は本当になつかしいものに聞えた。激しい向かい風のなかに見え始めた故国日本の姿はまったく懐かしい限りであった。
その癖、帰りついて昨日まで支那人ばかりみていたのに、四辺《あたり》はどこを見ても日本人ばかりなのでどうにもおかしな気持ちがしてしかたがなかった。
みんなは「支那ぼけでしょう」といって笑っている。あるいはそうかも知れない……。
底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
1976(昭和51)年11月10日初版発行
1977(昭和52)年5月31日第2刷
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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