ている。暗い内部をローソクをひとりひとりが持って、足許を照らしながらはいってゆくが、中はなかなか広く出来ている。そこにはローソクの光に照らし出される寝室や、風呂場や、会議室や、便所などと、いくつにも仕切られた部屋部屋があった。それらはくねくねと曲りくねってつづいているのであった。すると例の女の子は「アスモト御注意下さい」などと案内するのには私もおもわずふき出さずにはいられなかった。
寺にはむろん仏像が祀ってあった。けれども日本の仏像にみられるような尊厳さ、有難味というものがない。それに塗ったのか貼ったのかは知らぬが仏像の金の色でも、本当の金色ではなくてやけに妙な赤味を帯びているのが不愉快な印象を与えた。
西湖は十一月の五日から四日間ほど滞在したが、この土地はあまり寒くはなかった。西湖を船でゆくと、湖中に島があったり、島には文人好みの亭があったりして、いろいろと風景に趣のあるよいところであった。蘇堤などもいい風情をもっている。雨の日などはことに蕭々とけぶる煙雨になんとも言えぬ明媚な美しさがあった。
銭塘江は、向う側が雨にくもってちょうど南画の墨絵の山水をおもわせ、模糊として麗わしかった。
唐子童子
南京の紫金山というのは、私の泊っていた宿の窓のところからちょうど額縁にはまったように見られたが、夕方などになると大へん美しい山に見えるのであった。
山の形は、富士山の峰のあたりが角ばったようになっていて、そこへ夕陽があたるとすっかり紫色になってしまう。そして山麓にある家々の瓦などが、どういう関係からは知らぬが金色に輝いていかにも美しいものであった。
紫金山という名はなるほどこの光景にふさわしいと思ったが、しかし朝になってみるとあれほど龍宮城かなにかのように美しかった金色の家々がまことにきたならしい家根であって一向おもしろくないものであった。
抗州の銭塘江には橋が懸っていたが、事変の時、敵兵がその真中のところを爆破して逃げてしまったので、そこで中断されて河中に墜落していた。ホテルの近くに山があって、その山中に道士が棲んでいる。昔から絶えず棲んでいるという話であったが、私は都合が悪くてそれを見にゆけなかった。
鎮江に甘露寺と金山寺がある。甘露寺からみると下が湖水になっていて、芦や葭がずっと生えている。この芦や葭をとって細工物をするのだという。
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