ような構図が出来るかも知れませぬ。たとえばそのような場合にしましても、乞食の醜悪のみを写し出して、観る者に不快の念を与えるような図にしなくとも済まされるはずだと思います。乞食は乞食にしても、何処かに芸術になる何かを持っているはずです。それを捜し出し写し出すところに芸術家の使命があると思います。醜女の醜を描く必要のある場合にしましても、幽霊の凄さを出す必要がある場合にしましても、それらがほんとうの意味の芸術に触れているとしますれば、きっと観る者に不愉快を与えないはずだと思われます。ほんとうの芸術は観る者に不快の念を与えるものではないはずだと思います。
と言いましても、人にはそれぞれ好き不好きもありましょう。私にしても好き不好きがないとは申しませぬ。けれども私は、美人の美しさというものに偏した見かたをしたくないと思います。鈴のような眼の女には愛嬌を認め、細い眼の女には上品さがあります。長い顔にも円顔《まるがお》にもそれぞれに特長があります。そしてそれらは皆それぞれに美人の資格となることが出来ると思います。――こう見て来ますと、どんな女が美しいという固定した言いかたは出来ないことになって来
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