、非常に楽しみでございました。
 松年先生の渋い、筆力雄渾の画風から、楳嶺先生の柔らかい派手な濃麗華麗な画風に移りまして、その間に挟まって、自分を見失いかけ、悩みに悩み、傍ら今申しました漢学の勉強など致し、その頃は、それこそ血みどろの戦いでございました。楳嶺先生とは師縁が薄く、足掛二年、明治二十八年私が二十一の時先生が亡くなられましたので、それから栖鳳先生に師事致しまして、今日に及んで居りまするが、十六の時、第三回内国勧業博覧会に松年先生の御勧めで〈四季美人図〉を初出品致しまして、思いがけなく一等褒状を得、剰《あまつさ》え、その時御来朝の英国のコンノート殿下の御目にとまり御買上の光栄に浴しました時から始まり、その後幾多の展覧会に次々と出品致して参りましたが、矢張今もってこれで宜しいという気持ちが致しません。もっともっと良い絵を描かなければという気持ちでございます。御褒美もその間に度々戴きましたが、〈四季美人図〉では十二円戴き、大変使い出があった事を覚えて居りまするが、飛び立つ程嬉しかったような記憶はなく、ただ、明治三十六年に〈姉妹三人〉を描きました時は、何となく嬉しゅうございました。

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