と今度は乙某家にもそれと同一図様の又兵衛を見ました。これは甲某家のものと図柄がまるで同じことで、やはり又兵衛という言伝えだそうです。しかし私の見るところでは、乙の又兵衛は甲の又兵衛ほどの出来に比べて、一段下のもののように思いました。これは同じ又兵衛でも出来不出来でこんな具合になるのかとも思いましたが、しかしあるいは別の人が写したものかも知れず、その辺のことはとんと判断がつきませんが、とにかく、寛永前後にはあんな風な風俗画は、たいてい似たり寄ったりのもので、それがみな伝《でん》又兵衛になっていることは争われません。
二
作品に、その人特殊の持味がよく現われていることは勿論よいことでもあるし、そうなくてはならないと思います。この間ある人がきて個人展に関する話をしましたが、ことにこの個人展などの作品は、その人が端的にそこに現われているのがいいと思います。
それは必ずしも大努力を払ったものばかりとも限らず、絹本《けんぽん》もあったり紙本もあったり、形なども一様でなく、随意に自由にある方がよいと思います。何か描いた次手《ついで》に、この次手にこんな物を描いておこうと考えて、そ
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