人となれよのめぐみなりけり
まことに、いい歌であると思ったわたくしは、その歌の作者が、税所《さいしょ》敦子女史であることを知って、はたと画材をつかんだのである。
近代女流歌人として、税所敦子女史の名はあまりに名高い。が、その名高さは、女史の歌の秀でていることによるのはもちろんであるが、女史はまた孝の道においても、人の亀鑑《かがみ》となるべき人であったからである。
はじめ、女史はその歌道を千種有功《ちぐさありこと》卿に学んだが、二十歳の年に縁あって薩摩の藩士、税所篤之氏に嫁いだのである。
しかし薄幸な女史は八年のちの二十八歳に夫に死別されたのである。
女史は夫篤之氏の没後、薩摩に下って姑に仕え、その孝養ぶりは非常なもので、ここでいちいち列挙するまでもなく、身をすてて、ただひたすらに姑につかえ、自らをかえりみなかったのである。
のちに(明治八年)その才を惜しまれて、女史は宮中に出仕する身となり、掌侍に任じられ、夫や姑のなきあとは歌道ひとすじにその身を置いたのであった。
わたくしは、税所敦子女史の、この至高至純の美しい心根を画布に写しながら、いく度ひとしれず泪をもよ
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング