が押し付けずに、そのものの個性と特徴とを引伸ばすように教えられ、暗示的でその時には先生の言われた事がわからなかったが、あとで考えて見て成る程と合点が出来るようにな……。それに対して筆を持ってじかに直されるのでなく、その順序を暗示的に導かれるのどす。私も一生懸命に勉強しました。一心になってな……。絵も写生や粉本ばかりでなく、古い絵の研究も怠らず、北野縁起絵巻なども先生につれられて写しに参りました。明治二十八、九年頃には歴史画が、そうまあ流行どすな、全国青年共進会に御苑の桜が咲き門外で供侍が待ち、新田義貞と勾当内侍を描いた大和絵式のものを出品しまして先生のお賞めにあずかった事を未だに忘れずに居ります。その時分は人物を大きく描かず風景と取り合わせた傾向のものが多かったようどす。先生は学校からお帰りになると塾生を親切に指導され、展覧会の出品もその後で描かれたもので、その親切さと御熱心な指導には感心さされて居りました。
東京美術展覧会に昔出品された〈西行法師〉の図は墨絵の考案になったもので応挙を遥かに越えたものだと今でも浮かんで出て来ます……。それに、〈春の草叢〉と題して庭園の春の芭蕉の下に鼬
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