ペン字をかいている人が毛筆に拙ないのと同じように――。

 現在手許にある私の縮図帖は三、四十冊ぐらい。一冊ごとの枚数、厚さというものもべつに定めていないから大そう部厚いものから極く薄っぺらなものまで雑多である。だからして格好もさまざまで、竪横いろいろの大きさになっている。

 しかしそれぞれ縮図写生した日付が記してあるから、それからいろいろ自分が筆を労したあとが偲ばれて非常になつかしく、どんなに年数が経っても縮図帖さえひらけばそのときどきのことどもが想い出されて懐かしいものである。
 あああの絵は……そうだ、あそこの大きい縮図帖のどの辺に閉じてあるはずだ、と実に微細な点に至るまで明瞭に記憶されている。

 縮図した絵の原図は、その縮図をひらいて見さえすればすぐに憶い出せる、頭のなかにはっきりと描写し得る。これは苦労しているからである。
 よく展覧会とか博物館などから複写の写真版を買ってくることがあるが、それらは自ら苦労していないからその複写をみても原画の味や微細な線は憶い出せない。
 私がつとめて縮図をとるのはこの故にである。

 ずっと前には師の栖鳳先生が大作を描かれると必ずそれ
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