車中有感
上村松園

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)姉妹《ふたり》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って
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 汽車の旅をして、いちばん愉しいことは、窓にもたれて、ぼんやりと流れてゆく風景を眺めていることである。
 いろいろの形をした山の移り変りや、河の曲折などを眺めていると、何がなし有難い気持ちになって、熱いものを感じるのである。
 ふっと、一瞬にして通りすぎた谷間の朽ちた懸け橋に、紅い蔦が緋の紐のように絡みついているのを見て、瞬時に、ある絵の構図を掴んだり、古戦場を通りかかって、そこに白々と建っている標柱に、何のそれがし戦死のところ、とか、東軍西軍の激戦地とかの文字を読んで、つわものどもの夢の跡を偲んだりするのは無限の愉しみである。

 汽車に乗ると、すぐ窓辺にもたれて、窓外の風景へ想いをはしらすわたくしは――実は車内の、ごたごたした雰囲気に接するのを厭うためででもあった。
 汽車の中は、ひとつの人生の縮図であり、そこにはいろいろ社会の相が展開されているので、それらの相を仔細に眺めていると、いろいろと仕事のほうにも役立つ参考になるものがあるのであるが、わたくしには、ときたまに見受ける公徳心を失った、無礼な乗客の姿に接することが、たまらなく厭おしいので、そういうものをみて、自分の心をいためることのいやさから、自然に窓の外へと、自分の眸を転じてしまう癖がついてしまったのである。
 窓外の風景には、自分の心をいためるものは一つもない。そこにあるのは、いずれも、自分の心を慰め柔げてくれる風景ばかりである。
 ところが、わたくしは偶然にも、真珠のような美しいものを一昨年の秋、上京の途上にその車中で眺めたのである。あとにも先にも、わたくしは車中で、このような美しいものを感じたことは一度もない。それは、幼い児を抱いた、若い洋装の母の姿であり、その妹の姿であり、その幼児のあどけない姿であった。

 汽車が京都駅を発ってしばらくしてからのことであった。逢坂トンネルを抜けて、ひろびろとした琵琶の湖を眺めていると、近くで、優しい声がして、赤ン坊に何か言っているのが聞えて来たので、わたくしは、その声に何気なく振り返ると、ちょうどわたくしの座席と反対側の座席に、洋装の美しい若い女が、可愛い誕生前後とおぼしい幼児を抱えて、何か言っている姿が眼にうつった。
 わたくしは、その姿を一眼みるなり、思わず、ほう……と、呟いた。その母親(おそらく二十二、三であったであろう)の洗練された美しさもさることながら、その向いに坐っている妹さんらしい人の美しさにも、
「よくも、このように揃った姉妹があったもの」
 と、内心おどろきに似たものを感じざるを得ないほどであった。
 姉妹《ふたり》とも洋装で、髪はもちろん洋髪であった。
 近頃、若い女の間に、その尊い髪に電気をあてて、わざわざ雀の巣のように、あたら髪を縮らすことが流行して、わたくしなどの目には、いささかの美的情感も催さないのであるが、この姉妹の髪の、洋髪でありながら、なんという日本美に溢れていることか……
 くしゃくしゃの電髪に懼れをなしていたわたくしであっただけに、洋髪にも、こういう日本美の型が編み出せるものかと、新しい日本美でも発見したように、わたくしはおどろきおどろき眸を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ってしまったのである。

 この姉妹は、額のところに、少しばかりアイロンをかけて、髪を渦巻にしているほか、あとはすらりと項《うなじ》のところへ、黒髪を垂らし、髪のすそを、ふっくらと裏にまげていた。
 こういう新しい型の髪が、心ある美容師によって考案されたのであろうが、姉の顔立ちと言い、妹の顔立ちと言い、横から眺めていると、天平時代の上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]をみている感じで、とても清楚な趣きを示しているのであった。
 色の白い、顔立ちのよく整った、この二人の姉妹は、そのまま昔の彫刻をみている思いであった。
「洋髪でも、これくらい日本美を立派に取り入れた、これくらい気品のあるものなら、自分も描いてみたいものである」
 わたくしは、そう思うと、そっと小さなスケッチ帳を取り出して、こっそり写生した。
 わたくしは、汽車の中で、現代の女性を写生しながら、心は天平時代の女人の姿を描いているのであった。

 なにごとも工夫ひとつで――むしゃむしゃの電髪も、このように「日本美」というものを根底に置いて考えれば、実に立派な美的な髪が生まれるのである。
 ひと頃のように、何でもかでも
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