した。それであのままにして置いてはみっともないから朝のうちに来て直して下さい」
との挨拶でした。それだけ言ったきりで、陳謝の意も表さず、責任のない顔をしているのが私には気に入りませんでした。亀遊をかいた当時の私は「女は強く!」ということを心から叫んでいたので、
「誰がしたのですか。卑怯な行為です。おそらく私にへんねし[#「へんねし」に傍点]を持っている者がやったのでしょうが、それなら絵を汚さずに私の顔にでも墨をぬって汚してくれればよい。かまいませんからそのままにして置いて下さい。こっそり直すなんて、そんな虫のいいことは出来ません」
私は肚がたったので、そう答えました。
女とみてあなどっていた事務所の方も、私の態度があまりに強硬でしたので、あわててあらためて取締不行届を陳謝して参りましたので、私もそれ以上追及しませんでした。
間もなく会期も終るので、そのままにして置きましたところ、物好きな人がいて、あの絵をぜひ譲ってほしいと言って来ましたので、私は念のために鶯の糞で顔の汚れをふきましたら奇麗にとれたので、それを譲りましたが、犯人はそれきり判らずじまいでした。
焔
「焔」は私の数多くある絵のうち、たった一枚の凄艶な絵であります。
中年女の嫉妬の炎――一念がもえ上って炎のようにやけつく形相を描いたものであります。
謡曲「葵の上」には六条御息女の生き霊が出て来ますが、あれからヒントを得て描いたもので、最初は「生き霊」と題名をつけましたが、少し露わすぎるので、何かいい題はないかと思案の末、謡曲の師の金剛巌先生に相談したところ、「『生き霊』のことを『いきすだま』とも言うが、しかし『いきすだま』とつけても生き霊と同じい響きを持つから――いっそう焔とつけては」
と仰言いましたので、焔という字は如何にも絵柄にぴったりするので、私はそれに決めた訳です。
葵の上は光源氏の時代を取材したものですが、私はそれを桃山風の扮装にしました。
思いつめるということが、よい方面に向えば勢い熱情となり立派な仕事を成し遂げるのですが、ひとつあやまてば、人をのろう怨霊の化身となる――女の一念もゆき方によっては非常によい結果と、その反対の悪い結果を来たすものであります。
どうして、このような凄艶な絵をかいたか私自身でもあとで不思議に思ったくらいですが、あの頃は私
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