ら、研究の推移をふり返ってみますと、大体において南宗、北宗から円山四条派におよび、土佐や浮世絵などをもくぐって来、それに附加して博物館とか神社仏閣の宝物什器、市井の古画屏風を漁り、それぞれの美点と思われるところを摂取して、今日の私流の絵が出来上ったという次第であります。

        花ざかり

「花ざかり」は私の二十六歳のときの作品で、私の画業のひとつの時期を画した作品と言っていいかも知れません。

 その時代にまだ京都に残っていました花嫁風俗を描いたもので、この絵の着想は、私の祖父が「ちきり屋」という呉服商の支配人をしていた関係から、そこの娘さんがお嫁入りするについて、
「つうさんは絵を描くし、器用だし、ひとつ着つけその他の世話をして貰えないか」
 と、ちきり屋の両親にたのまれましたので、その嫁入り手伝いに出掛けた折り、花こうがい、櫛、かんざし、あげ帽子など、花嫁の姿をスケッチし、附添いの母の、前にむすぶ帯までスケッチしたのが、あとになって役立ったのでした。

 今ならば美容院で、嫁入り衣裳の着つけその他万端は整うのですが、当時は親類の者が集まってそれをしたものです。
 私はいろいろと着つけをして貰っている花嫁の、恥ずかしい中に嬉しさをこめて、自分の体をそれら親類の女たちにまかせている姿をみて、全くこれは人生の花ざかりであると感じました。

 そこで、その日の光景を絵絹の上へ移したのですが、華やかな婚礼の式場へのぞもうとする花嫁の恥ずかしい不安な顔と、附添う母親の責任感のつよく現われた緊張の瞬間をとらえたその絵は――明治三十三年の日本美術院展覧会に意外の好評を博し、この画は当時の大家の中にまじって銀牌三席という栄誉を得たのであります。

 正に私の花ざかりとでも言うべき、華やかな結果を生んだのでした。
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 (授賞席順)
金牌  大原の露    下村観山
銀牌  雪中放鶴    菱田春草
    木蘭      横山大観
    花ざかり    上村松園
    秋風      水野年方
    秋山喚猿    鈴木松年
    秋草      寺崎廣業
    水禽      川合玉堂
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 恩師鈴木松年先生が、自分の上席に入賞した私のために、最大の祝詞を送って下さいましたことを、私は身内が熱くなるほど嬉しく思い
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