ら、辺文進《へんぶんしん》の花鳥の側に二歳か三歳の松篁《しょうこう》が這い廻っていましたり、仇英の楼閣山水の隣りに、馬上の橋本関雪さんが居られたりします。

 この関雪さんの姿は明治三十六年頃と思いますが、栖鳳《せいほう》先生の羅馬《ローマ》[#ルビの「ローマ」は底本では「ローヤ」]の古城の屏風が出来ました年に、西山さんや五雲さんや塾の人が揃って上加茂あたりに写生に行った時の写生でございます。百姓の女や畑の牛やを写していますとき、今度は馬を写そうということになりましたら、橋本さんがそんなら私が乗って見せようと言われて、上手に乗って見せられたのを写したのでした。

 こうして一枚々々繰って行って見ますと、栖鳳先生の元禄美人も出て来ます。橋本菱華という人の竹籔に烏の図もあります。春挙さんの瀧山水、五雲さんの猫など、その時これはと思ったものがこうして描きとめられてあるわけです。
 いずれにしましても四十年もの昔から描き集めたものですし、それに今なお時折り何彼と参考に開いて見ますので、画室の手近いところに置いてありますの。ですから今のように、イザ火事だという咄嗟の場合に、第一にこれをという気に
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