て、これはこれはと吃驚《びっく》りさせられまして、とてもこれではと思いましたが、何をこれしきのことにと、雪の中をつっきって博物館に行ったことでした。

 いつの頃からか私は女の絵ばかり描くようになってしまいましたが、修業を始めました頃は申すまでもなく、何も彼も写しました。もっとも自然好きで人物の絵の方が多くはありますし、その内でも女の絵が一番沢山になりましたようですが、花鳥でも山水でもこれはと思う目ぼしいものはみな写しました。いま出して見ますと、呉道子《ごどうし》の人物もありますし、雪舟の観音もあります。文正の鳴鶴《めいかく》がありましたり元信の山水に応挙の花鳥、狙仙《そせん》の猿……恐らく博物館に陳列されましたお寺方の絵ですと、大抵一通りは写してあります。

 確か六曲屏風だったと思いますが、応挙の老松に雪の積もった絵を写しにかかった時のことです。上の方から写し出してだんだん下の方に描き下ろして行きますと、美濃紙で綴じた私の帳面に、その図がはまり切れなくなりました。あと二寸も余地があれば、縮図が纒まるのに残念なことやと思いますと、そのままでやめてしまうのが大変心残りに思われ出しまして、その晩帰宅して紙を継ぎ足して又その翌日その続きを写しにいったりしたことがあります。

     祭の夜

 祇園祭の夜、中京の大きなお店で屏風を飾られるのを写して歩くのも、私にはなかなかの勉強でした。お断りして半日も同じ絵の前に坐り込んで縮図したことはたびたびのことでした。福田浅次郎さんのお宅の由良之助お軽、丸平人形店の蕭白《しょうはく》の美人、鳩居堂にも蕭白の美人があります。二枚折の又兵衛の美人観桜図は山田長左衛門さんと山田嘉三郎さんとに同じ図がありまして、私は嘉三郎さんの方のを縮図させて貰ったのを覚えて居りますが、先度《せんど》、長左衛門さんの方のが売立に出たことがありましたので、久し振りに拝見に出ましたが、どうも同じ図同じ彩色ですが筆味が違うように思いました。一方が密で一方が荒ッぽい所があります。随って絵の全体の味に違いがあります。としますと一方の荒ッぽい方が模写したものなのかしらというような気もされました。

     写生

 私の帳面は縮図も写生も一緒くたでございます。素《もと》より他人に見せる積《つも》りの物ではなく、唯自分一人の心覚えのためですし勉強のためでありますから、辺文進《へんぶんしん》の花鳥の側に二歳か三歳の松篁《しょうこう》が這い廻っていましたり、仇英の楼閣山水の隣りに、馬上の橋本関雪さんが居られたりします。

 この関雪さんの姿は明治三十六年頃と思いますが、栖鳳《せいほう》先生の羅馬《ローマ》[#ルビの「ローマ」は底本では「ローヤ」]の古城の屏風が出来ました年に、西山さんや五雲さんや塾の人が揃って上加茂あたりに写生に行った時の写生でございます。百姓の女や畑の牛やを写していますとき、今度は馬を写そうということになりましたら、橋本さんがそんなら私が乗って見せようと言われて、上手に乗って見せられたのを写したのでした。

 こうして一枚々々繰って行って見ますと、栖鳳先生の元禄美人も出て来ます。橋本菱華という人の竹籔に烏の図もあります。春挙さんの瀧山水、五雲さんの猫など、その時これはと思ったものがこうして描きとめられてあるわけです。
 いずれにしましても四十年もの昔から描き集めたものですし、それに今なお時折り何彼と参考に開いて見ますので、画室の手近いところに置いてありますの。ですから今のように、イザ火事だという咄嗟の場合に、第一にこれをという気になってとりあえず風呂敷に包むということになるわけだと思います。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「大毎美術 第十巻第六号」
   1931(昭和6)年6月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年5月17日作成
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