て、いつ一番鶏二番鶏が啼いたのであろう」
私は画室の障子がだんだん白みを加えてゆくのを眺めながら昨夜の夢中な仕事を振り返るのであった。
気性だけで生き抜いて来たとも思い、絵を描くためにだけ生きつづけて来たようにも思える。
それがまた自分にとってこの上もない満足感をあたえてくれるのである。
昭和十六年の秋に展覧会出品の仕事を前に控え、胃をこわして一週間ばかり寝込んでしまった。これも無理がたたったのであろう。
胃のぐあいが少しよくなった頃には、締切日があと十余日くらいになってしまった。
「夕暮」の絵の下図も出来ていたことだし自分としても気分のいい構図だったので何とかして招待日までに間に合わせたかったので、無理だと思ったが一年一度の制作を年のせいで間に合わせなかったなどと思われるのが残念さから、負けん気を起こして、これもまる一週間徹夜をつづけた。恐らくこれが私の強引制作の最後のものであろうと思う。
一週間徹夜――と言っても、少々は寝るのであるからこの時はさほどに疲労は来なかった。
夜中二時頃お薄《うす》を一服のむと精神が鎮まって目がさえる。それから明日の夕飯時ごろまで徹夜の
前へ
次へ
全9ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング