芸術三昧即信仰
生きることに悶えた四十代
上村松園
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)普門品《ふもんぼん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](昭和十一年)
−−
人は苦しまなければいけない、苦しんでこそ初めて生まれるものが有る。わたしはひと頃異常に生きていることに疑問を感じたことがあった。何のために生きているのだろう。画を描くことによって画名を揚げてさて何になるのだろう。むしろ死んだ方がいいのじゃないかと悶えたことがあった。四十歳前後のことで、考えてみればはや二十年ばかりも前のことである。
そんな時分にはよくわたしは貧民街を歩いたりした。そして画を描いて苦しんでいるよりも、こうした人達が何となく喜んでいる生活をうらやんだものである。
その当時わたしは建仁寺の黙雷禅師の法話を聴きに行ったことがある。年ははっきり覚えませんが、日は四月の二十二日だった。しとしとと春雨の降る日、つとにおきて僧堂に禅師を訪ねました。有り余るなやみを胸に抱いて禅師の教えを乞いに参じたところ、詰所の人が禅師はお休みだからと断るようでした
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング