錦絵のあった、東京方面にはよいお手本もありましたが、京都には花鳥の画家が多く、ほとんど美人画を見る機会がありませんでした。ですから、鏡に自分の姿を写して写生したり、いろいろの人をスケッチしたりして、ほとんど自分で勉強いたしました。いつも袂に矢立と半紙を入れて歩きました。祇園祭りは、他の人と異なる意味で、私には特別に楽しみに待たれました。と申しますのは、中京辺りの大|店《だな》では、どこの店でも家宝とする立派な屏風を、祇園祭りの間中店に飾ります。代々つづいている大きな老舗《しにせ》では、誠に立派な屏風を持っております。「お屏風拝見」といえば、どこの店でも快よく上へ上げて見せてくれる習慣《ならわし》がありまして、お客が多いほど自慢となるのです。私も、道を歩いていて、よい絵の屏風があると、「お屏風拝見」といって上がり込みます。
「お二階の方にもありますからどうぞ、お上がりやしてみておくれやす」と、いう調子で、快よく見せてくれますので、これ幸いと拝見し、これは写して置きたいと思うと、
「ちょっと、写さして頂きます」といって、半日も知らぬ家に坐り込んで、写していることもありました。
当時は今の
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