ありました。それからは、花が咲こうと、月が出ようと、絵のことばかり考えておりました。
母は一人で店を経営し、夜は遅くまで裁縫などしながら、私の画業を励ましてくれました。
烈しい勉強
それからの私は、心は男のように構えておりましたが、悲しいことに、形は女の姿をしております。そのために勉強の上にも、さまざまな困難がありました。私は体は小さくても、生来母譲りの健康体を持っておりましたから、烈《はげ》しい勉強にはいくらも堪えられました。けれど写生などに行きたくとも、若い女の身で、そうやたらな所へ一人で行くことはできません。仕方がないので、男学生十二、三人の写生旅行に加わって行きました。朝は、暗いうちに起きて、お弁当を腰につけ、脚絆をつけて出かけます。日に、八里、九里も男の足について歩きました。歩いては写生し、写生しては歩くのです。ある時は吉野の山を塔の峰の方まで、三日間、描いては歩く旅行をしました。家に帰ると流石に足に実《み》が入って、大根のように太くなり、立つ時は掛声でもかけないと立てないほどになったことがありました。
お陰で今も足はたいへん丈夫でございます。四、五年前、
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