来、毎年毎年春が回《めぐ》って来ると、今年こそは、上納の画に、専心かかろうと心に定めております。すると、あっちからも、こっちからも、以前から依頼されておりました催促が来ます。「父の代からお願いしたのに、今度は孫が嫁を貰おうとしていますから、是非それまでに一つ」というようなこともいわれますと、どうも断わりきれなくなりまして、まあそれだけ一つと描き始めます。
私の画は、元来密画ですから、どんな小さいものでも、一気にサッと描けるものはありません。構想を練り、下絵を描き、はじめて筆をとるのですから、時日もかかります。また、私はどんな用向きの画でも、現在の自分の力を精一杯尽くして描かなくては、承知できない性《たち》ですので、いい加減に急ぎの頼まれものを、片づけてしまうというようなことがどうしてもできません。こうして、間に一つ仕事をはさみ込みますと、どうも気持ちが二つに割れて工合よくゆきません。気軽にかかれるものでしたら、さっさと、次の仕事に移れますが、上納の画こそは、永久御物として、御保存のごく名誉の御用画として我が精根を打ち籠めたいと思えば思うほど、そうは運びません。秋には展覧会に是非出品せねばならず、またその後少しく健康をそこない、かくしてついのびのびと相成り、いつしか永き歳月をかさね、あまりにも恐れ多く、たえず心痛をいたしておりました。
この二、三年来、非常に健康になりましたので、今年は是が非でも上納申し上げねばと、心に定めました。そして永年延引のおわびには非常なる力作をお納め申し上げねば相すまぬと心に存じました。丁度三室戸伯爵からも、今年六月に皇太后陛下がお久し方振りに京都に行啓あらせられるから、その折りに間に合うようにというお話もありました。
早春二月から、一切の頼まれものはお断わりし、雑事を排して、専心、上納画の下絵にとりかかりました。藤原時代の衣裳の考証に、ある時は写生に外へ出かけたりいたしました。四月には心に適《かな》った下絵ができ上がりましたので、いよいよ幅二尺、縦五尺六寸の絹に、雪の一幅からとりかかりました。
毎朝、五時に起きまして、体を浄め、二階の画室の戸をすっかり開け放ちます。画室には朝の清浄な空気が充ち満ちます。そこでピタリと閉めて、終日仕事をいたしました。早朝は虫も木の葉の陰に止まって眠っており、塵、埃も静まっていますので、画室の中は、実に
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