ます。
「花がたみ」
花がたみは謡曲の「花がたみ」から取材したもので、大正四年、文展に出品したものでございます。狂女を描くのですから、本当の狂人をよく観たいものと思い、岩倉精神病院へ、二、三度見学にまいったものでした。院長に案内されて病棟を歩きますと、千差万別の狂態が見られました。夏のことで、私は薄い繻珍《しゅちん》の帯をしめておりましたが、繻珍の帯が光ったのか、一人の狂女が走りよって、
「奇麗な帯しめてはる」
と、手を触れて見ておりました。一室には、もと、相当なお店のお内儀《かみ》さんだったという品のよい女がおりました。舞を舞うのが好きと見えて、始終、何やら舞うていると聞きましたので、私が、謡《うたい》をうたってみますと本当に舞いはじめました。男女さまざまな狂態を見まして、これは一種の天国だと思いました。挨拶、応答など、聞いておりますと、これでも狂人かしらと思われるほど常人と変わらない人も、目を見るとすぐ解りました。
「母子」
祇園祭りの時でしたでしょうか、ずっとずっと昔のことです。中京の大きなお店に、美しい、はん竹の簾《すだれ》がかかっておりました。その簾には、花鳥の絵が実に麗しく、彩色してありましたので、頭にはっきり残りました。
ある年、あの簾を配して何か人物を描いてみようと思いつきました。いろいろの人物をあの記憶の簾の前に立たせて見て、もっとも心に適《かな》ったのが母子《おやこ》の姿でした。これが、昭和九年、帝展出品の「母子」になったのでございます。
「序の舞」
昨年(昭和十一年)、文展に出品いたしました「序の舞」は、品のよい令嬢の舞い姿を描きたいものと思って描き上げたものでございます。仕舞のもつ、古典的で優美で端然とした心持を表わしたいと思ったのでございます。そこで嫁を、京都で一番品のよい島田を結う人のところへやりまして、文金高島田を結ってもらいました。そして婚礼の時の振袖を着てもらい、いろいろな仕舞の形をさせ、スケッチいたしました。途中で、中年の令夫人にしようかとも思いましたので、早速嫁に丸髷を結ってもらい、渋い着物を着て、立ってもらったこともございました。私の謡の先生の娘さんがよく仕舞を舞われますので、いろいろな仕舞の形をしてもらって、それも、スケッチいたしました。
いよいよ令嬢で、形は序の舞のあの
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