いました。
しかし時には、私が制作三昧の境にひたりきっている午後を、突然のけたたましい猫族の叫声と、目の前をサッと走るいくつかの素速い動物の巨きな影に思わずハッとなり絵筆を止めさせられることがあります。
軒下の外縁を彼女らが無断占拠するのはよいとして、それによって屋内の主人である私が時々おびやかされ制作のさまたげをされるのは、
「困った悪戯もの」
であります。
ひさしを貸して母屋まで……とつまらぬ俚諺に思いあたってつい苦笑せざるを得ません。
画室のなかは実に賑やかです。何年か前の美人下絵がいまだに隅に立っていたり、清少納言が何か、もっともらしい顔つきで私を眺めていたりする。
モデルをあまり使わない私は、夜分など壁へ自分の影を映してそれを参考にしてポーズをとるのです。
影絵というものは全体の姿だけ映って、こまかい線は映りませんから形をとるのに大へん役立つものであります。
また大鏡もそなわっていますが、その前に坐っていろいろの姿を工夫するのです。
時には緋鹿子の長じゅばんを着てみたり振袖をつけてみたり――まるで気が変になったのではないかと思われそうなことをやっていますが、本人の私はとても真剣なのです。
入室厳禁の画室のことですから誰も見ていないので笑われはしませんが、だれか垣間見ていたとしたらずいぶんとへんてこな格好であろうと自分ながらそう思います。
狩野探幽でしたか、あるお寺の襖に千羽鶴を描くのにいろいろと自分の姿態を映した話がありましたが、画描きというものの通癖でもありましょうか。
月の夜、障子にうつる竹や木の枝の影に、とても美しい形が見いだされることがあります。それをそのまま写して置くことも何かの参考になるので、これなどもときどき写しとっております。
底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
1976(昭和51)年11月10日初版発行
1977(昭和52)年5月31日第2刷
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年3月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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