らか野鳥が飛んで来てはゆすら梅に止まって囀りはじめる。すると籠のなかの小鳥たちもそれに和すように鳴き出す。
 木々の間をぬうて歩めば掘り池に緋鯉の静寂がのぞかれる。
 朝の一瞬、貧しいながらここは私にとってまったくの浄土世界です。

 毎年五月の七日か八日ごろが私のところの衛生掃除に当たっている。それを区切りとして夏の暑いさかりを階下の画室で、またお盆過ぎになって文展の制作を機に二階の画室へ、これが私の上下画室の使用期になっております。冬は二階の方が陽あたりはよく、暖くもあり、夏は階下の涼しい木蔭の方が制作し易いからです。

 画室の至るところ、この隅には手控えの手帖が数冊、ここには子供ばかりをスケッチしたノートがかためて置かれてあり、また階下の画室のどこそこには桜花ばかり描いた縮図帳が、と私の上下の画室内部には、私の絵に必要な用紙、絵具、絵筆から絵具の皿に及ぶさまざまなものが散在していて、私でないとどこになにがあるかということの見当はまずつきそうもない。
 しかし自分ではそれぞれの在り場所が不思議なほどよく呑みこめていて、別にあらたまって整理の必要は感じたことがありません。

 画室の掃除だけは自身がする。
 私の制作に必要な個所には絨毯が敷いてあるし、蠅や蛾の汚れを防ぐために絵にはいつでも白布をかけることにしてあります。
 絹布切れでつくったさいはらい[#「さいはらい」に傍点]、棕櫚の手製の箒等みな自分専用のものである。
 雨の降った翌日のしっとりした空気が掃除には上々のようです。

 二階の画室の狭い外廊がいつの間にか近所の猫どもの通路になっていることを、私は最近になって知った。
 私の家の外塀を乗り越えて、三毛猫、白猫、黒猫、実にいろいろ近所の猫たちが入れかわり立ちかわりやって来ては、そのまま黙って通り過ぎてゆくものもあり、朝や午後からの陽あたりのいい時間には手すり廊下の一個所で、まことに心持ちよげに一刻の睡をむさぼってゆく。
 ちょうど今頃の冬の季候には、猫たちにとっては実によい憩い場所であるらしい。

 万年青や葵などの植木鉢が置き並べられてあるその間をはなはだ巧みにそれこそ足音ひとつさせずにやって来ては、つい先日も私が画室のガラス障子越しにそっと凝視《みつ》めていることも気がつかぬらしく、愛らしい三毛と白の二匹がひっそり冬陽を受けて寝そべってぬくもって
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