ど、人物画は寥々たるものでした。
「あんたの描きたいものは京都に参考がなくて気の毒だな」
 松年先生はよく私にそう言われて同情して下さいまして、出来るだけ粉本や参考を貸して下さいました。
 松年先生自身もまた山水がお得意だったので、人物画の参考がすくなかったのです。

 当時、京都に如雲社といって、京都画壇連合の月並展覧会が、今の弥栄倶楽部の辺にあった有楽館でひらかれましたが、世話人がお寺や好事家から借りて来た逸品の絵を参考として並べましたので、私には大変いい参考になったので、これは欠かさずに出掛けて行って縮図しました。

 美術倶楽部で売立てがあると聞くと、私は早速く紙と矢立てを持って駈けつけたものです。
 そして、頼んではそれを写させてもらったものであります。しかし入札を見に来る客人の邪魔になりはせぬかと遠慮しながら縮図をつづけました。
 あの頃の不自由を想うと、今の人は幸せです。文展でも院展でも非常に人物画が多くなっているので、参考に困りませんが、当時はこのようにしなければ、人物画の参考は見られなかったものでした。

 そのような不自由な中から、人物画で一派をたてていった私の修行
前へ 次へ
全6ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
上村 松園 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング