画学校時代
上村松園

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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 傍点の説明
(例)ぼっこう[#「ぼっこう」に傍点]
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 十三年の年に小学校を卒業し、翌年十四歳の春、京都府立画学校へ入学しました。
 明治二十一年のことでありますから、女が絵の学校へはいるなんて、と言って叔父がさかんに母を責めました。しかし母は、
「つうさんの好きな道やもん」
と言って受けつけなかったのです。

 当時、校舎は今の京都ホテルのところにありまして、その周囲はひろい空地で、いちめんに花畠になっていました。
 それで花屋が画学校の前にありましたので、よく写生用の花を買ったり、買わずに、じかに花畠へ行って写生したりしたものです。
 そのころの画学校は実にのんびりとしていて、別に画家になる目的でなくとも、なんとなく入学して……と言った人もかなりいました。
「うちの子は身体が弱いよって、絵でも習わそうか」
というようなのもありました。
 今の画家は余程の腕の力と健康がなくてはつとまりませんが、当時は絵描きに対しては一般の目はその程度の、
「遊び仕事」
ぐらいに考えていたもののようでした。です
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