ど、人物画は寥々たるものでした。
「あんたの描きたいものは京都に参考がなくて気の毒だな」
 松年先生はよく私にそう言われて同情して下さいまして、出来るだけ粉本や参考を貸して下さいました。
 松年先生自身もまた山水がお得意だったので、人物画の参考がすくなかったのです。

 当時、京都に如雲社といって、京都画壇連合の月並展覧会が、今の弥栄倶楽部の辺にあった有楽館でひらかれましたが、世話人がお寺や好事家から借りて来た逸品の絵を参考として並べましたので、私には大変いい参考になったので、これは欠かさずに出掛けて行って縮図しました。

 美術倶楽部で売立てがあると聞くと、私は早速く紙と矢立てを持って駈けつけたものです。
 そして、頼んではそれを写させてもらったものであります。しかし入札を見に来る客人の邪魔になりはせぬかと遠慮しながら縮図をつづけました。
 あの頃の不自由を想うと、今の人は幸せです。文展でも院展でも非常に人物画が多くなっているので、参考に困りませんが、当時はこのようにしなければ、人物画の参考は見られなかったものでした。

 そのような不自由な中から、人物画で一派をたてていった私の修行は並々のものではありませんでした。
 自由に参考の手にはいる現代の人たちは幸福であると同時に、そう言った苦労をしずにすむことは楽修行になるので、うんと警戒しなくてはならぬと思うのであります。



底本:「日本の名随筆別巻95・明治」作品社
   1999(平成11)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「青眉抄」三彩社
   1972(昭和47)年1月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:ふろっぎぃ
校正:門田裕志
2002年1月11日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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