、女手一つで店をやっていきました。体は至って壮健で、実にまめによく働きました。私が五歳位の時でしたろう。ふと夜中の二時頃、目をさますと、ザザァザザァという音がする。「なんや?」と思うとそれは母が焙炉《ほいろ》の茶をかえしている音でした。茶商売では、茶を飲み分けることができないとあきまへん。というのは茶とんびといって、今でいえばブローカーですな、これが茶を売りこみに来ます。「これは宇治の一品や」と言うても母は「まあ、飲んでみよう」と言って飲んでみる。よく味わって「いや、これには静岡ものが混ぜてある」と見やぶってしまいます。それで始めは「若後家だ、だましてやろう」という気で来た茶とんびも、「あそこはごまかしが利かぬ」と分って、良い茶をもってくるようになりました。母は茶を飲み分ける鋭敏な感覚をもっておりました。四条通りは人通りも多く、追々お得意もふえお店は繁昌しました。ところが、私が十九歳の時、隣家から火が出て危く全焼はまぬがれましたが、荷物は表へほうり出されて、ドロドロになる。瓦はみんなめくられてしまうという騒ぎ。火事がおさまってみると、表口は何ともないのに奥は半壊の状態で、雨もりはする、
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