母にねだって江戸絵や押絵に使う白描を買ってもらい、江戸絵を真似てかいたり、白描に色をつけては悦んでいました。
 また夜店をひやかしていますと、ときどき古道具の店に古い絵本があったりしますので、母にねだって買ってもらうのでした。
 母は私が絵を買うとさえ言えば、いくらでも、おうおうと言って買ってくれました。将来絵かきにするつもりではなかったのでしょうけれど、好きなものなら――と言った気持ちから訊いて下さったのでしょう。

 たしか五つか六つの頃と思います。
 お祭によばれて親類の家へ遊びに行ったときのこと、そこの町内に絵草紙店があって、なかなかいい絵があるのです。
 子供心にほしくてほしくてたまらなかったが、親類の人に遠慮して言い出せずもじもじしていたが、折りよくそこへ家の丁稚が通り合わしましたので、私はこれ幸いと、丁稚に半紙へ波の模様のある文久銭を六つならべて描いて、
「これだけ貰って来ておくれ」
 とことづけて、やっとそれを買うことが出来ました。
 文久銭というのを知らないので絵にして言づけた訳ですが、あとで母は、この絵手紙を大いに笑って、つうさんは絵で手紙をかくようになったんやなア、と言われました。

 ガス燈も電燈もなかった時代のことで、ランプを往来にかかげて夜店を張っている。その前に立って、芝居の役者の似顔絵や、武者絵などを漁っている自分の姿をときどき憶い出すことがありますが、あの頃は何ということなしに絵と夢とを一緒にして眺めていた時代なので私には懐かしいものであります。
 芝居の中村富十郎の似顔絵など、よしかん[#「よしかん」に傍点]の店先に並んでいる光景は、今でも思い出せばその顔の線までハッキリと浮かび上って来るのです。

        北斎の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵

 母は読み本が好きで、河原町四条上ルの貸本屋からむかしの小説の本をかりては読んでいられたが、私はその本の中の絵をみるのが好きで、よく一冊の本を親子で見あったものでした。
 馬琴の著書など多くて――里見八犬伝とか水滸伝だとか弓張月とかの本が来ていましたが、その中でも北斎の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵がすきで、同じ絵を一日中眺めていたり、それを模写したりしたもので――小学校へ入って間もないころのことですから、ずいぶんとませていた訳です。
 字体も大きく、和綴じの本で、※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵もなかなか鮮明でしたからお手本には上々でした。
 北斎の絵は非常に動きのある力強い絵で、子供心にも、
「上手な絵やなあ」
 と思って愛好していたものです。

 貸本屋というのは大抵一週間か十日ほどで次の本と取り替えにくるものですが、その貸本屋はいたってのん気で、一度に二、三十冊持って来るのですが、一ヵ月経っても三ヵ月しても取りに来ません。
 四ヵ月目に来たかと思うと、新しい本をもって来て、
「この本は面白いえ」
 と言って置いてゆき、前の本を持って帰るのを忘れるという気楽とんぼでした。
 廻りに来るのは、そこの本屋の息子ですが、浄瑠璃に大へん凝って、しまいには仕事をほり出して、そればかりうな[#「うな」に傍点]っている仕末でした。
 息子の呑気さに輪をかけたように、その貸本屋の老夫婦ものんびりとしたいい人達でした。
 いつでも店先で、ぼんやりと外を眺めていましたが、とき折り私が借りた本を返しにゆくと、
「えらいすまんな」
 といって、色刷りの絵をくれたりしました。店にはずいぶんたくさんの本があり、私の好きな絵本もありました。
 御一新前に、その老夫婦が勤皇の志士をかくまったそうですが、その志士がのちに出世して東京で偉い人になったので、
「お礼返しに息子さんを学校へ出してやろう」
 と言われたので、老夫婦は息子をつれて東京へ行ってしまいましたが、その時たくさんの本を屑屋へ払い下げて行ったそうですが、あとでそのことをきいて、
「あれをたくさん買って置けばよかった」
 と残念におもいました。

 母が用事で外出をすると、留守の私は淋しいので、母の鏡台から臙脂《べに》をとり出して、半紙に、それら北斎の※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]絵をうつしていましたが、母は帰って来られると必ず、二、三枚の絵を土産に下さいましたことも、今は遠い思い出となってしまいました。

        小学校時代

 仏光寺の開智校へ入学したのは、七つの年でした。
 絵が好きなものですから、ほかの時間でも石盤に石筆で絵を描いたり、庵筆(鉛筆のことを当時はそうよびました)でノートに絵をかいたりして楽しんでいました。
 
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