それが夢であるのか、現《うつつ》であるのか別《わか》ちのつかない場面に魂を彷彿とさせます。

 沈麗《ちんれい》高古な衣裳のうごき、ゆるやかな線の姿態の動き、こんな世界が、ほんとうに昔のある場面を彩どったであろうように、静寂な感覚の上に顕現してまいります。この微妙な感覚は、口舌で説きえるほど浅いものではありません。

     ○

 面《おもて》は喜怒哀楽を越えた無表情なものですが、それがもし名匠の手に成ったものであり、それを着けている人が名人であったら、面は立派に喜怒哀楽の情を表わします。わたくしは曽て金剛巌師の“草紙洗”を見まして、ふかくその至妙の芸術に感動いたしたものですから、こんど、それを描いてみたのでした。

 小町の“草紙洗”というのは、ご存じのとおり、宮中の歌合せに、大伴黒主《おおとものくろぬし》が、とうてい小町には敵わないと思ったものですから、腹黒の黒主が、小町の歌が万葉集のを剽窃《ひょうせつ》したものだと称して、かねて歌集の中へ小町の歌を書きこんでおき、証拠はこの通りといったので、無実のぬれ衣を被《き》た小町は、その歌集を洗って、新たに書きこんだ歌を洗いおとし黒主の奸計をあばくという筋なのです。

 この作品はぎりぎりの十月十二日に送り出して辛々《からから》間《ま》に合わせたのでしたが、随分|根《こん》をつめました。

 松篁は羊の絵を制作中でしたが、夜更になって、そっと松篁の画室の方をのぞいて見ますと電燈がついている、さてはまだ描いているなと思いまして、わたくしも負けずにまた筆を執るという工合で、母子競争で制作に励んだわけでした。

 松篁もなかなか熱心でしたが、さて出来栄えはどんなものですか――




底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「大毎美術 第十六巻第十一号」
   1937(昭和12)年11月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年10月15日作成
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