恋衣
山川登美子・増田雅子・與謝野晶子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)額《ぬか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)君が名|讃《たゝ》へ

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)画蚊※[#「巾+厨」、第4水準2−8−91]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)燃えて/\かすれて消えて
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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[#ページの左右中央に]

  詩人薄田泣菫の君に捧げまつる

[#改丁]

   絵画目次[#省略]

[#改丁]

   詩目次[#底本では各項は、「君死に給ふこと勿れ」に合わせて均等割付]

白百合

みをつくし

曙染

君死に給ふこと勿れ

恋ふるとて

いかが語らむ

皷いだけば

しら玉の

冥府のくら戸は

[#改丁]
白百合

[#地から1字上げ]山川登美子

髪ながき少女とうまれしろ百合に額《ぬか》は伏せつつ君をこそ思へ

聖壇《せいだん》にこのうらわかき犠《にへ》を見よしばしは燭《しよく》を百《ひやく》にもまさむ

そは夢かあらずまぼろし目をとぢて色うつくしき靄にまかれぬ

日を経なばいかにかならむこの思たまひし草もいま蕾なり

射あつべし射あてじとても矢はつがへ金《きん》の桂に額《ぬか》まける君

恋せじと書かせたまふか琴にしてともにと植ゑし桐のおち葉に

こがね雲ただに二人をこめて捲けなかのへだてを神もゆるさじ

手もふれぬ琴柱《ことぢ》たふれてうらめしき音をたてわたる秋の夕かぜ

何といふところか知らず思ひ入れば君に逢ふ道うつくしきかな

このもだえ行きて夕のあら海のうしほに語りやがて帰らじ

この塚のぬしを語るな名を問ふなただすみれぐさひとむら植ゑませ

紅《べに》の花朝々つむにかずつきず待つと百日《もゝか》をなぐさめ居らむ

ひとすぢを千金《せんきん》に買ふ王《わう》もあれ七尺みどり秋のおち髪

わが息《いき》を芙蓉の風にたとへますな十三絃をひと息《いき》に切《き》る

またの世は魔神《まがみ》の右手の鞭うばひ美くしき恋みながら打たむ

袖たてて掩ひたまふな罪ぞ君つひのさだめを早うけて行かむ

うつつなく消えても行かむわかき子のもだえのはての歌ききたまへ

わすれじなわすれたまはじさはいへど常のさびしき道ゆかむ身か

われゆゑに泣かせまつりぬゆるしませよわき少女にいま秋のかぜ

わが胸のみだれやすきに針もあてずましろききぬをかづきて泣きぬ

狂へりや世ぞうらめしきのろはしき髪ときさばき風にむかはむ

裾きえて蕋《ずゐ》のまなかに立つと見ぬ天《あめ》の香をもつ百合花《ゆりばな》のうへ

うるはしき神の旅路と答《いら》へまつりともづな解かむ波のまにまに

をみなへしをとこへし唯うらぶれて恨みあへるを京の秋に見し (明治三十三年の秋)

にほひもれて人のもどきのわづらはし袖におほひていだく白百合

さらば君氷にさける花の室《むろ》恋なき恋をうるはしと云へ

その涙のごひやらむとのたまひしとばかりまでは語り得れども

その浜のゆふ松かぜをしのび泣く扇もつ子に秋問ひますな

狂ふ子に狂へる馬の綱あたへ狂へる人に鞭とらしめむ

薄月に君が名を呼ぶ清水かげ小百合ゆすれてしら露ちりぬ

とことはに覚むなと蝶のささやきし花野の夢のなつかしきかな

聴きたまへ神にゆづらぬやは胸にくしきひびきの我を語れる

手づくりのいちごよ君にふくませむわがさす紅《べに》の色に似たれば

里の夜を姉にも云はでねむの花君みむ道に歌むすびきぬ

紅梅にあわ雪とくる朝のかどわが前髪のぬれにけるかな

なにとなく琴のしらべもかきみだれ人はづかしく成れる頃かな

心なく摘みし草の名やさしみて誰におくると友のゑまひぬ

われ病みぬふたりが恋ふる君ゆゑに姉をねたむと身をはかなむと

髪あげて挿《さ》さむと云ひし白ばらものこらずちりぬ病める枕に

野に出でてさゆりの露を吸ひてみぬかれし血のけの胸にわくやと

世は下《した》にいかにも強ひようるはしき日知らで土鼠《もぐら》土を掘るごと

ぬる蝶のなさけやさしみ瓜畑のあだなる花もひとめぐりしぬ

雲きれて星はながれぬおもふこと神にいのれる夕ぐれの空

かがやかに燭《しよく》よびたまふ夜《よ》の牡丹ねたむ一人《ひとり》のうらわかきかな

かずかずの玉の小琴をたまはりぬいざうちよりて神をたたへむ (新詩社をむすび給へる初に)

指の環を土になげうちほゝゑみし涙の面のうつくしきかな

うるはしき[#「うるはしき」は底本では「うるはきし」]マリヤを母とよびならひわかき尼ずみ寺に年へぬ

誰がために摘めりともなし百合の花聖書にのせて祷りてやまむ

くちなはの口や狐のまなざしや地のうへ二尺君は寵《ちやう》の子

よわき子は天《あめ》さす指も毒に病む栄《さか》えを祝へ地なる醜草《しこぐさ》

いもうとの憂髪《うきがみ》かざる百合を見よ風にやつれし露にやつれし (晶子の君に)

垣づたひ萩のしたゆくいささ水にはぢらふ頬をばひたしぬるかな

うけられぬ人の御文《みふみ》をなげぬれば沈まず浮かず藻にからまりぬ

くちぶえに小羊《こひつじ》よびて鞭ふりて牧場《まきば》に成りし歌のふしとる

木屋街は火《ほ》かげ祇園は花のかげ小雨に暮るゝ京やはらかき

世のかぜはうす肌さむしあはれ君み袖のかげをとはにかしませ

利鎌《とがま》もて刈らるともよし君が背の小草のかずにせめてにほはむ

いろふかくゑまひこぼるるこの花よたまひし人によく似たるかな

わが舞へる扇の風に殿《との》の火を百《もゝ》の牡丹のゆらぎぬと見る

いかならむ遠きむくいかにくしみか生れて幸《さち》に折らむ指なき (以下十首人に別れ生きながらへてよめる)

地にひとり泉は涸れて花ちりてすさぶ園生に何まもる吾

虹もまた消えゆくものかわがためにこの地この空恋は残るに

君は空にさらば磯回《いそわ》の潮とならむ月に干《ひ》て往ぬ道もあるべき

待つにあらず待たぬにあらぬ夕かげに人の御車《みくるま》ただなつかしむ

今の我に世なく神なくほとけなし運命《さだめ》するどき斧ふるひ来よ

燃えて/\かすれて消えて闇に入るその夕栄《ゆふばえ》に似たらずや君

帰り来む御魂と聞かば凍る夜の千夜《ちよ》も御墓の石いだかまし

おもひ出づな恨に死なむ鞭の傷《きず》秘めよと袖の少女《をとめ》に長き

夕庭のいづこに立ちてたづぬべき葡萄つむ手に歌ありし君 (以上)

みてづからひと葉つみませこのすみれ君おもひでのなさけこもれり

花さかばふたりかざしにさして見むこのすみれぐさ色はうつらじ

あたらしくひらきましたる詩の道に君が名|讃《たゝ》へ死なむとぞ思ふ

わが手もて摘みてかざせるひと花も君に問はれて面《おも》染めにけり

いづこ踏みいかに帰らむちる花は山をうづみぬ我をめぐりぬ

誰がためにつくる花環とほほゑみて花の名をさへ問ひたまふかな

手づくりの葡萄の酒を君に強ひ都の歌を乞ひまつるかな

迎へ待つ君は来まさずわが駒に百合の花のせ綱ひく夕野

ほほゑみて火焔《ほのほ》も踏まむ矢も受けむ安きねむりの二人《ふたり》いざ見よ

それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ (晶子の君と住の江に遊びて)

羽子《はご》よ毬よみな母君にかくされて肩上《かたあげ》あとの針目《はりめ》さびしき

くれなゐに金糸の襟の舞の子を三月《みつき》画にすと京にある君

紅筆《べにふで》にわづらひたまふ歌よりも雪の兎に目をたまへ君

見じ聞かじさてはたのまじあこがれじ秋ふく風に秋たつ虹に

きぬでまりましろきなりに春のきてかがる色糸《いろいと》みなもつれたり

たてかけし琴の緒ひくくひびきたり御袖のはしも触れじと思ふに

てずさびにつなぎし路のいと柳誰れその上をまたむすびたる

ちる花に小雨ふる日の風ぬるしこの夕暮よ琴柱《ことぢ》はづさむ

春さむし紅き蕾の枝づたひ病むうぐひすの戸にきより啼く

瞳《ひとみ》まだ栄《はえ》に酔はすな春の雲と袖もておほふ雛のうぐひす

夕顔に片頬あたへしおごりびと妬たしと星も今ちかう降れ

飢ゑていま血なきに筆もちからなし人よ魔と書く文字ををしへね

みいくさの艦《ふね》の帆づなに錨《いかり》づなに召せや千すぢの魔もからむ髪

ふる鏡霜に裂けたるこだまなし夜烏《よがらす》むせび黄泉《よみ》にや帰る

かたつぶりひさしに出でし雨ふつ日瓦にさきぬなでしこの花

たもち得ぬ才はたとへばうまざけの破《や》れし甕《かめ》にも似たるこの人

ましら羽の鳥に啣《ふく》ます花ひとつ武蔵のあなた十里におちよ (上総なる林のぶ子の君を懐ひまつりて)

髪なでて鏡ゆかしむ夜もありぬ夢にや摘まむしろ百合の花

わが袖も春のひかりの帰らじや牡丹|剪《き》らせて皷《つづみ》に添へば

雲に見る秋のうれひを葉に染めて泣くにしのぶに陰よき芭蕉

扇なす彩羽《あやは》の孔雀鳥の王おごりの塵を吹く春のかぜ

大原女《おはらめ》のものうるこゑや京の町ねむりさそひて花に雨ふる

おばしまの牡丹の花に額《ぬか》たれて春の真昼をうつつなき人

幸《さち》はいま靄《もや》にうかびぬ夢はまたしづかに降《お》りて君と会ひにけり

薔薇《ばら》もゆるなかにしら玉ひびきしてゆらぐと覚ゆわが歌の胸

せめてただ女神《めがみ》の冠《かむり》しろ百合の花のひとつと光《ひかり》そへむまで

地にわが影|空《そら》に愁の雲のかげ鳩よいづこへ秋の日往ぬる

虹の輪の空《そら》にながきをたぐりませ捲かれて往なむこの二人《ふたり》なり

戸によりてうらみ泣く夜のやつれ髪この子が秋を詩に問ふや誰

歌あらば海ゆく雨に添へたまへ山に夕虹なびくを待たむ (上総の浜辺に夏を過ぐせるまさ子の君に)

夕潮に玉藻《たまも》よる音《ね》の秋ほそしさばかりをだに命なる歌

髪ながうなびけて雲はそぞろなり入日と風と恋をいどめる

鞭拍子《むちびやうし》やうやく慣れて南国《なんごく》の牧場《まきば》の春の草に歌よき

百合牡丹|犠《にへ》の花姫なほ足らずばひじりの恋よ野うばらも枕《ま》け

しら鳩も今むつまじく肩にきぬ君西びとの歌つづけませ

さりともとおさへて胸はしづめたれ夜を疑ひの涙さびしき

思あれば秋は袖うつひと葉にも涙こぼれて夕風|黄《き》なり

いつはりの濁るなみだのかかりなばこの袖たちてまた君を見じ

秋かぜに御粧殿《みけはひどの》の小簾《をす》ゆれぬ芙蓉ぞ白き透き影にして

ゆふばえやくれなゐにほいむら山に天《あめ》の火が書く君得しわが名

ぬのぎれに瓦つつみて才《さい》はかる秤器《はかり》の緒にはのぼされにけり (以下拾弐首さることのありける時)

おとなしく母の膝よりならひ得し心ながらの歌といらへむ

鋳られてはひとつ形のひと色の埴輪《はにわ》のさまに竈《かまど》出でむか

ひとりにはあまりさびしき秋の夜と筆がさそひしまぼろしよ君

地にあらず歌にただ見るまぼろしの美くしければ恋とこそ呼べ

書よみて智慧売る子とは生れざり蛇《へび》のうすぎぬ価ある世よ

いきづけば花とかをらむ思あり人のいのちの燃ゆる胸より

相ふれては花もうなづく浪も鳴る枯木《からき》青木《あをき》も山を焼きぬる

おもひでを又はなやぎてかざらばや指さす人に歌ひ興ぜむ

歌よみて罪せられきと光ある今の世を見よ後の千とせに

師と友とわれとし読みてうなづかば足るべき集《しう》と智者《ちしや》達に言へ

あなかしこなみだのおくにひそませしいのちはつよき声にいらへぬ

[#改丁]
みをつくし

[#地から1字上げ]増田まさ子

しら梅の衣《きぬ》にかをると見しまでよ君とは云はじ春の夜の夢

恋やさだめ歌やさだめとわづらひぬおぼろごこちの春の夜の人

むつれつつ菫のいひぬ蝶のいひぬ風はねがはじ雨に幸《さち》あらむ

飛ぶ鳥かわがあこがれの或るもの
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