しさうに挨拶をかへしたのである。私はテツさんに妻を引き合せてやつた。私がわざわざ妻を連れて來たのは妻も亦テツさんと同じやうに貧しい育ちの女であるから、テツさんを慰めるにしても、私などよりなにかきつと適切な態度や言葉をもつてするにちがひないと獨斷したからであつた。しかし、私はまんまと裏切られたのである。テツさんと妻は、お互に貴婦人のやうなお辭儀を無言で取り交しただけであつた。私は、まのわるい思ひがして、なんの符號であらうか客車の横腹へしろいペンキで小さく書かれてあるスハフ[#「スハフ」は横組み] 134273 といふ文字のあたりをこつこつと洋傘の柄でたたいたものだ。
 テツさんと妻は天候について二言三言話し合つた。その對話がすんで了ふと、みんなは愈々手持ぶさたになつた。テツさんは、窓縁につつましく並べて置いた丸い十本の指を矢鱈にかがめたり伸ばしたりしながら、ひとつ處をじつと見つめてゐるのであつた。私はそのやうな光景を見て居れなかつたので、テツさんのところからこつそり離れて、長いプラツトフオムをさまよひ歩いたのである。列車の下から吐き出されるスチイムが冷い湯氣となつて、白々と私の足もとを這
前へ 次へ
全8ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング