とても望めなかつたのだ。私のひがみからかも知れないが、あのとき若し、テツさんの上京さへなかつたなら、汐田はきつと永久に私から遠のいて了ふつもりであつたらしい。
汐田は私とむつまじい交渉を絶つてから三年目の冬に、突然、私の郊外の家を訪れてテツさんの上京を告げたのである。テツさんは汐田の卒業を待ち兼ねて、ひとりで東京へ逃げて來たのであつた。
そのころには私も或る無學な田舍女と結婚してゐたし、いまさら汐田のその出來事に胸をときめかすやうな、そんな若やいだ氣持を次第にうしなひかけてゐた矢先であつたから、汐田のだしぬけな來訪に幾分まごつきはしたが、彼のその訪問の低意を見拔く事を忘れなかつた。そんな一少女の出奔を知己の間に言ひふらすことが、彼の自尊心をどんなに滿足させたか。私は彼の有頂天を不愉快に感じ、彼のテツさんに對する眞實を疑ひさへした。私のこの疑惑は無殘にも的中してゐた。彼は私にひとしきり、狂喜し感激して見せた揚句、眉間に皺を寄せて、どうしたらいいだらう? といふ相談を小聲で持ちかけたではないか。私は最早、そのやうなひまな遊戲には同情が持てなかつたので、君も悧功になつたね、君がテツさんに
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