された。
つい昨年の冬、汐田がテツさんを國元へ送りかへした時のことである。
テツさんと汐田とは同じ郷里で幼いときからの仲らしく、私も汐田と高等學校の寮でひとつ室に寢起してゐた關係から、折にふれてはこの戀愛を物語られた。テツさんは貧しい育ちの娘であるから、少々内福な汐田の家では二人の結婚は不承知であつて、それゆゑ汐田は彼の父親と、いくたびとなく烈しい口論をした。その最初の喧嘩の際、汐田は卒倒せん許りに興奮して、しまひに、滴々と鼻血を流したのであるが、そのやうな愚直な※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話さへ、年若い私の胸を異樣に轟かせたものだ。
そのうちに私も汐田も高等學校を出て、一緒に東京の大學へはひつた。それから三年經つてゐる。この期間は、私にとつては困難なとしつきであつたけれども、汐田にはそんなことがなかつたらしく、毎日をのうのうと暮してゐたやうであつた。私の最初間借してゐた家が大學のぢき近くにあつたので、汐田は入學當時こそほんの二三囘そこへ寄つて呉れたが、環境も思想も音を立てつつ離叛して行つてゐる二人には、以前のやうなわけへだて無い友情は
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