豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)淘汰《まびき》
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私は先夜、眠られず、また、何の本も読みたくなくて、ある雑誌に載っていたヴァレリイの写真だけを一時間も、眺めていた。なんという悲しい顔をしているひとだろう、切株、接穂、淘汰《まびき》、手入れ、その株を切って、また接穂、淘汰《まびき》、手入れ、しかも、それは、サロンへの奉仕でしか無い。教養とは所詮《しょせん》、そんなものか。このような教養人の悲しさを、私に感じさせる人は、日本では、(私が逢った人のうちでは)豊島先生以外のお方は無かった。豊島先生は、いつも会場の薄暗い隅にいて、そうして微笑していらっしゃる。しかし、先生にとって、善人と言われるほど大いなる苦痛は無いのではないかと思われる。そこで、深夜の酔歩がはじまる。水甕《みずがめ》のお家をあこがれる。教養人は、弱くてだらしがない、と言われている。ひとから招待されても、それを断ることが、できない種属のように思われている。教養人は、スプーンで、林檎《りんご》を割る。それにはなにも意味がないのだ。比喩《ひゆ》でもないの
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