それを阿呆みたいに抱きかかえる。一言にしていえば、アニュイ。
音楽家で言えば、ショパンでもあろうか。日本の浪花節《なにわぶし》みたいな、また、講釈師みたいな、勇壮活溌な作家たちには、まるで理解ができないのではあるまいか。おそらく、豊島先生は、いちども、そんな勇壮活溌な、喧嘩《けんか》みたいなことを、なさったことはないのではあるまいか。いつも、負けてばかり、そうして、苦笑してばかりいらっしゃるのではあるまいか。まるで教養人の弱みであり、欠点でもあるように思われる。
しかし、この頃、教養人は、強くならなければならない、と私は思うようになった。いわゆる車夫馬丁にたいしても、「馬鹿野郎」と、言えるくらいに、私はなりたいと思っている。できるかどうか。ひとから先生と言われただけでも、ひどく狼狽《ろうばい》する私たち、そのことが、ただ永遠の憧《あこが》れに終るのかも知れないが。
教養人というものは、どうしてこんなに頼りないものなのだろう。ヴィタリティというものがまったく、全然ないのだもの。
ああ、先生も、私と同様に、だらしがない。
そうして、日本で、いちばんの教養人だってさ。
最後に、末
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