ンスだと思つた。財布は路のまんなかに光つてゐた。在るにきまつてゐる。私は、それを拾つて、宿へ帰つて、寝た。
 富士に、化かされたのである。私は、あの夜、阿呆《あはう》であつた。完全に、無意志であつた。あの夜のことを、いま思ひ出しても、へんに、だるい。
 吉田に一泊して、あくる日、御坂へ帰つて来たら、茶店のおかみさんは、にやにや笑つて、十五の娘さんは、つんとしてゐた。私は、不潔なことをして来たのではないといふことを、それとなく知らせたく、きのふ一日の行動を、聞かれもしないのに、ひとりでこまかに言ひたてた。泊つた宿屋の名前、吉田のお酒の味、月夜富士、財布を落したこと、みんな言つた。娘さんも、機嫌が直つた。
「お客さん! 起きて見よ!」かん高い声で或る朝、茶店の外で、娘さんが絶叫したので、私は、しぶしぶ起きて、廊下へ出て見た。
 娘さんは、興奮して頬をまつかにしてゐた。だまつて空を指さした。見ると、雪。はつと思つた。富士に雪が降つたのだ。山頂が、まつしろに、光りかがやいてゐた。御坂の富士も、ばかにできないぞと思つた。
「いいね。」
 とほめてやると、娘さんは得意さうに、
「すばらしいでせう?
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