の、このような感想文は、それこそチョッキのボタンを二つ三つ掛けている間に、まとめてしまうべきであって、あんまり永い時間、こだわらぬことだ。感想文など、書こうと思えば、どんなにでも面白く、また、あとからあとから、いくらでも書けるもので、そんなに重宝なものでない。さきごろ、モンテエニュの随想録を読み、まことにつまらない思いをした。なるほど集。日本の講談のにおいを嗅いだのは、私だけであろうか。モンテエニュ大人《たいじん》。なかなか腹ができて居られるのだそうだが、それだけ、文学から遠いのだ。孔子|曰《いわ》く、「君子は人をたのしませても、おのれを売らぬ。小人はおのれを売っても、なおかつ、人をたのしませることができない。」文学のおかしさは、この小人のかなしさにちがいないのだ。ボオドレエルを見よ。葛西善蔵の生涯を想起したまえ。腹のできあがった君子は、講談本を読んでも、充分にたのしく救われている様子である。私にとって、縁なき衆生《しゅじょう》である。腹ができて立派なる人格を持ち、疑うところなき感想文を、たのしげに書き綴るようになっては、作家もへったくれもない。世の中の名士のひとりに成り失《う》せる。
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング