るかれには、大作家五十歳六十歳のあの傍若無人のマンネリズムの堆積が、無かったので、人は、かれの、ユーゴー、バルザックにも劣らぬ巨匠たる貫禄《かんろく》を見失い、或る勇猛果敢の日本の男は、かれをカナリヤとさえ呼んでいた。
 淀野隆三訳、「小さき町にて。」の出版を、よろこぶの心のあまり、ひどく、不要の出しゃばりをしたようである。許したまえ。悪い心で、したことではなかったのだから。許さぬと言われるなら、それに就いて、他日また、はっきり申しひらきいたします。

     或るひとりの男の精進について

「私は真実のみを、血まなこで、追いかけました。私は、いま真実に追いつきました。私は追い越しました。そうして、私はまだ走っています。真実は、いま、私の背後を走っているようです。笑い話にもなりません。」

     生きて行く力

 いやになってしまった活動写真を、おしまいまで、見ている勇気。

     わが唯一のおののき

 考えてみると、私たちはこうして文章が書けることだけでも、まだしも仕合せであった。まかり間違って――

     マンネリズム

 私は、叡智《えいち》のむなしさに就いて語っ
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