ような、全く滑稽《こっけい》な幼い遊戯であります。一つとして見るべきものがありません。雰囲気の醸成を企図する事は、やはり自涜《じとく》であります。「チエホフ的に」などと少しでも意識したならば、かならず無慙《むざん》に失敗します。言わでもの事であったかも知れません。君も既に一個の創作家であり、すべてを心得て居られる事とvいますが、君の作品の底に少し心配なところがあるので、遠慮をせずに申し上げました。無闇《むやみ》に字面《じづら》を飾り、ことさらに漢字を避けたり、不要の風景の描写をしたり、みだりに花の名を記したりする事は厳に慎しみ、ただ実直に、印象の正確を期する事一つに努力してみて下さい。君には未だ、君自身の印象というものが無いようにさえ見える。それでは、いつまで経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。複雑という事は、かえって無思想の人の表情なのです。それこそ、本当の無学です。君は無学ではありません。君の作品に於いても、根強い一つの思想があるのに、君は、それを未だに自覚していないのです。次の箴言《しんげん》を知っていますか
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