自分のほうで、自分に不潔を感じてやりきれなくなります。自分だって、大きい顔をでらでら油光りさせて酒を飲んでいる事があります。君の手紙に不潔を感じたというのではなく、鏡の反射光を真正面に自分のほうに向けられたような気がして、自分の醜さにまごつくのです。おわかりの事と思う。
君の作品に於いても、自分にはたった一つ大きい不満があります。十九世紀の一流品に比肩出来るという、自分の言葉の中にも、自分はその大きい不満を含めていました。君の作品は、十九世紀の完成を小さく模倣しているだけだ、といってしまうと、実《み》も蓋《ふた》も無くなりますが、君の作品のお手本が、十九世紀のロシヤの作家あるいはフランスの象徴派の詩人の作品の中に、たやすく発見出来るので、窮極に於いて、たより無い気がするのです。感傷の在《あ》りかたが、諦念に到達する過程が、心境の動きが、あきらかに公式化せられています。かならずお手本があるのです。誰しもはじめは、お手本に拠《よ》って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは、まことに腑甲斐《ふがい》ない話であります。はっきり言うと、
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