す。文学とは、恋愛を書く事ではないのかしらと、このとしになって、ちょっと思い当った事もありましたので、私の最近の行きづまりを女性を愛する事に依って打開したい等、がらにもない願望をちらと抱いた夜もあって、こんどの旅行で何かヒントでも得たら、しめたものだと陳腐《ちんぷ》な中学生式の空想もあったのでした。私には旅行がめずらしかったものですから、それで少し浮き浮きしていたというところもあったのでしょう。あわれな話ですね。若い花やかなインスピレエションが欲しさに、私は大しくじりを致しました。最初の晩、ごはんのお給仕に出た女中は二十七八歳の、足を外八文字にひらいて歩く、横に広いからだのひとでした。眼が細く小さく、両頬は真赤でおかめの面《めん》のようでありました。何を考えているのか、どういう性格なのか、よくわからないような人でありました。私は、宿の客が多いか、何月ごろが一ばんいそがしいか、そうか、ねえさんは此の土地の人か、そうか、などと少しも知りたくない事ばかりを無理してお義理に質問しては、女中が答えないさきから首肯《うなず》いたりしていました。女中は聞かれた事だけを、はっきり一言で答えて、他には何も言いません。ぶあいそな女中でした。私は退屈しました。ちっとも話題が無くなりました。私は重くるしくなりました。二本目のお銚子《ちょうし》にとりかかった時、どういう風の吹き廻しか、ふいと坂田藤十郎の事が思い浮んだのです。芸に行きづまり一夜いつわりの恋をしかけて、やっとインスピレエションを得た。わるい事だが、芸のためには、やむを得まい。私も実行しよう。すぐに屹《き》っと眉《まゆ》を挙げて、女中さん、と声の調子を変えて呼びかけました。君を好きなんだ、とか何とか自分でも呆れるくらい下手な事を言って、そっと女中の手を握ろうとしたら、ひどい事になりました。女中は、「何しるでえ!」と大声で叫んで立ち上り、けもののような醜いまずい表情をして私を睨《にら》み、「あてにならねえ。非常時だに。」と言いましたB私は肝《きも》のつぶれるほどに驚倒し、それから、不愉快になりました。「自惚《うぬぼ》れちゃいけない。誰が君なんかに本気で恋をするものか。」と私も、がらりと態度を改めて言ってやりました。「ためしてみたのだ。むかし坂田藤十郎という偉い役者がいてね、」と説明しかけたら、また大きな声で、「いい加減言うじゃあ。寄
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