十分くらい経って、
「ごめん下さい。」
と玄関で女のひとの声がして、私が出て見ると、それは三鷹《みたか》の或るおでんやの女中であった。
「前田さんが、お見えになっていますけど。」
「あ、そう。」
部屋の出口の壁に吊り下げられている二重廻しに、私はもう手をかけていた。
とっさに、うまい嘘《うそ》も思いつかず、私は隣室の家の者には一言も、何も言わず、二重廻しを羽織って、それから机の引出しを掻《か》きまわし、お金はあまり無かったので、けさ雑誌社から送られて来たばかりの小為替《こがわせ》を三枚、その封筒のまま二重廻しのポケットにねじ込み、外に出た。
外には、上の女の子が立っていた。子供のほうで、間《ま》の悪そうな顔をしていた。
「前田さんが? ひとりで?」
私はわざと子供を無視して、おでんやの女中にたずねた。
「ええ。ちょっとでいいから、おめにかかりたいって。」
「そう。」
私たちは子供を残して、いそぎ足で歩いた。
前田さんとは、四十を越えた女性であった。永い事、有楽町の新聞社に勤めていたという。しかし、いまは何をしているのか、私にもわからない。そのひとは、二週間ほど前、年の暮に
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