使者の言ひけるは、
 汝の手を童子《わらべ》より放て、
 何をも彼に為すべからず、
 汝はそのひとりごをも、わがために惜まざれば、われいま汝が神を畏《おそ》るるを知る。
 云々《うんぬん》というような事で、イサクはどうやら父に殺されずにすんだのであるが、しかし、アブラハムは、信仰の義者《ただしきもの》たる事を示さんとして躊躇《ちゅうちょ》せず、愛する一人息子を殺そうとしたのである。
 洋の東西を問わず、また信仰の対象の何たるかを問わず、義の世界は、哀《かな》しいものである。
 佐倉宗吾郎一代記という活動写真を見たのは、私の七つか八つの頃の事であったが、私はその活動写真のうちの、宗吾郎の幽霊が悪代官をくるしめる場面と、それからもう一つ、雪の日の子わかれの場を、いまでも忘れずにいる。
 宗吾郎が、いよいよ直訴《じきそ》を決意して、雪の日に旅立つ。わが家の格子窓《こうしまど》から、子供らが顔を出して、別れを惜しむ。ととさまえのう、と口々に泣いて父を呼ぶ。宗吾郎は、笠《かさ》で自分の顔を覆うて、渡し舟に乗る。降りしきる雪は、吹雪《ふぶき》のようである。
 七つ八つの私は、それを見て涙を流した
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