ヴァレリイの言葉、――善をなす場合には、いつも詫《わ》びながらしなければいけない。善ほど他人を傷《きずつ》けるものはないのだから。
 私は風邪《かぜ》をひいたような気持になり、背中を丸め、大股で地下道の外に出てしまいました。
 四五人の記者たちが、私の後を追いかけて来て、
「どうでした。まるで地獄でしょう。」
 別の一人が、
「とにかく、別世界だからな。」
 また別の一人が、
「驚いたでしょう? 御感想は?」
 私は声を出して笑いました。
「地獄? まさか。僕は少しも驚きませんでした。」
 そう言って上野公園の方に歩いて行き、私は少しずつおしゃべりになって行きました。
「実は、僕なんにも見て来なかったんです。自分自身の苦しさばかり考えて、ただ真直を見て、地下道を急いで通り抜けただけなんです。でも、君たちが特に僕を選んで地下道を見せた理由は、判《わか》った。それはね、僕が美男子であるという理由からに違いない。」
 みんな大笑いしました。
「いや、冗談じゃない。君たちには気がつかなかったかね。僕は、真直を見て歩いていても、あの薄暗い隅《すみ》に寝そべっている浮浪者の殆《ほとん》ど全部
前へ 次へ
全11ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング