美男子と煙草
太宰治

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)独《ひと》り

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)東京駅|迄《まで》行き、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)今さら[#「今さら」に傍点]頼む事も出来ません。
−−

 私は、独《ひと》りで、きょうまでたたかって来たつもりですが、何だかどうにも負けそうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑《けいべつ》しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら[#「今さら」に傍点]頼む事も出来ません。私は、やっぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかいを、たたかい続けるよりほか無いんです。
 私のたたかい。それは、一言[#「一言」は底本では「一事」]で言えば、古いもの[#「古いもの」に傍点]とのたたかいでした。ありきたりの気取りに対するたたかいです。見えすいたお体裁《ていさい》に対するたたかいです。ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかいです。
 私は、エホバにだって誓って言えます。私は、そのたたかいの為に、自分の持ち物全部を失いました。そうして、やはり私は独りで、いつも酒を飲まずには居られない気持で、そうして、どうやら、負けそうになって来ました。
 古い者は、意地が悪い。何のかのと、陳腐《ちんぷ》きわまる文学論だか、芸術論だか、恥かしげも無く並べやがって、以《もっ》て新しい必死の発芽を踏みにじり、しかも、その自分の罪悪に一向お気づきになっておらない様子なんだから、恐れいります。押せども、ひけども、動きやしません。ただもう、命が惜しくて、金が惜しくて、そうして、出世して妻子をよろこばせたくて、そのために徒党を組んで、やたらと仲間ぼめして、所謂《いわゆる》一致団結して孤影の者をいじめます。
 私は、負けそうになりました。
 先日、或るところで、下等な酒を飲んでいたら、そこへ年寄りの文学者が三人はいって来て、私がそのひとたちとは知合いでも何でも無いのに、いきなり私を取りかこみ、ひどくだらしない酔い方をして、私の小説に就《つ》いて全く見当ちがいの悪口を言うのでした。私は、いくら酒を飲んでも、乱れるのは大きらいのたちですから、その悪口も笑って聞き流していましたが、家へ帰って、おそい夕ごはんを食べながら、あまり口惜《くや》しくて、ぐしゃと嗚咽《おえつ》が出て、とまらなくなり、お茶碗《ちゃわん》も箸《はし》も、手放して、おいおい男泣きに泣いてしまって、お給仕していた女房に向い、
「ひとが、ひとが、こんな、いのちがけで必死で書いているのに、みんなが、軽いなぶりものにして、……あのひとたちは、先輩なんだ、僕より十も二十も上なんだ、それでいて、みんな力を合せて、僕を否定しようとしていて、……卑怯《ひきょう》だよ、ずるいよ、……もう、いい、僕だってもう遠慮しない、先輩の悪口を公然と言う、たたかう、……あんまり、ひどいよ。」
 などと、とりとめの無い事をつぶやきながら、いよいよ烈《はげ》しく泣いて、女房は呆《あき》れた顔をして、
「おやすみなさい、ね。」
 と言い、私を寝床に連れて行きましたが、寝てからも、そのくやし泣きの嗚咽が、なかなか、とまりませんでした。
 ああ、生きて行くという事は、いやな事だ。殊《こと》にも、男は、つらくて、哀《かな》しいものだ。とにかく、何でもたたかって、そうして、勝たなければならぬ[#「勝たなければならぬ」に傍点]のですから。
 その、くやし泣きに泣いた日から、数日後、或る雑誌社の、若い記者が来て、私に向い、妙な事を言いました。
「上野の浮浪者を見に行きませんか?」
「浮浪者?」
「ええ、一緒の写真をとりたいのです。」
「僕が、浮浪者と一緒の?」
「そうです。」
 と答えて、落ちついています。
 なぜ、特に私を選んだのでしょう。太宰といえば、浮浪者。浮浪者といえば、太宰。何かそのような因果関係でもあるのでしょうか。
「参ります。」
 私は、泣きべその気持の時に、かえって反射的に相手に立向う性癖を持っているようです。
 私はすぐ立って背広に着換え、私の方から、その若い記者をせき立てるようにして家を出ました。
 冬の寒い朝でした。私はハンカチで水洟《みずばな》を押えながら、無言で歩いて、さすがに浮かぬ心地《ここち》でした。
 三鷹《みたか》駅から省線で東京駅|迄《まで》行き、それから市電に乗換え、その若い記者に案内されて、先《ま》ず本社に立寄り、応接間に通されて、そうして早速ウイスキイの饗応にあずかりました。
 思うに、太宰はあれは小心者だから、ウイスキイでも飲ませて少し元気をつけさせなければ、浮浪者とろくに対談も出来ないに違いないという本社|編
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング