がら、あまり口惜《くや》しくて、ぐしゃと嗚咽《おえつ》が出て、とまらなくなり、お茶碗《ちゃわん》も箸《はし》も、手放して、おいおい男泣きに泣いてしまって、お給仕していた女房に向い、
「ひとが、ひとが、こんな、いのちがけで必死で書いているのに、みんなが、軽いなぶりものにして、……あのひとたちは、先輩なんだ、僕より十も二十も上なんだ、それでいて、みんな力を合せて、僕を否定しようとしていて、……卑怯《ひきょう》だよ、ずるいよ、……もう、いい、僕だってもう遠慮しない、先輩の悪口を公然と言う、たたかう、……あんまり、ひどいよ。」
などと、とりとめの無い事をつぶやきながら、いよいよ烈《はげ》しく泣いて、女房は呆《あき》れた顔をして、
「おやすみなさい、ね。」
と言い、私を寝床に連れて行きましたが、寝てからも、そのくやし泣きの嗚咽が、なかなか、とまりませんでした。
ああ、生きて行くという事は、いやな事だ。殊《こと》にも、男は、つらくて、哀《かな》しいものだ。とにかく、何でもたたかって、そうして、勝たなければならぬ[#「勝たなければならぬ」に傍点]のですから。
その、くやし泣きに泣いた日から、数日後、或る雑誌社の、若い記者が来て、私に向い、妙な事を言いました。
「上野の浮浪者を見に行きませんか?」
「浮浪者?」
「ええ、一緒の写真をとりたいのです。」
「僕が、浮浪者と一緒の?」
「そうです。」
と答えて、落ちついています。
なぜ、特に私を選んだのでしょう。太宰といえば、浮浪者。浮浪者といえば、太宰。何かそのような因果関係でもあるのでしょうか。
「参ります。」
私は、泣きべその気持の時に、かえって反射的に相手に立向う性癖を持っているようです。
私はすぐ立って背広に着換え、私の方から、その若い記者をせき立てるようにして家を出ました。
冬の寒い朝でした。私はハンカチで水洟《みずばな》を押えながら、無言で歩いて、さすがに浮かぬ心地《ここち》でした。
三鷹《みたか》駅から省線で東京駅|迄《まで》行き、それから市電に乗換え、その若い記者に案内されて、先《ま》ず本社に立寄り、応接間に通されて、そうして早速ウイスキイの饗応にあずかりました。
思うに、太宰はあれは小心者だから、ウイスキイでも飲ませて少し元気をつけさせなければ、浮浪者とろくに対談も出来ないに違いないという本社|編
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング