ません、小学校のあの階段は頑丈ですからねえ。」
「聞けば聞くほど、いやになる。あすからもう、河岸《かし》をかえましょうよ。いい潮時ですよ。他にどこか、巣を捜しましょう。」
そのような決意をして、よその飲み屋をあちこち覗《のぞ》いて歩いても、結局、また若松屋という事になるのである。何せ、借りが利くので、つい若松屋のほうに、足が向く。
はじめは僕の案内でこの家へ来たれいの頭の禿《は》げた林先生すなわち洋画家の橋田氏なども、その後は、ひとりでやって来てこの家の常連の一人になったし、その他にも、二、三そんな人物が出来た。
あたたかくなって、そろそろ桜の花がひらきはじめ、僕はその日、前進座の若手俳優の中村国男君と、眉山軒で逢って或る用談をすることになっていた。用談というのは、実は彼の縁談なのであるが、少しややこしく、僕の家では、ちょっと声をひそめて相談しなければならぬ事情もあったので、眉山軒で逢って互いに大声で論じ合うべく約束をしていたのである。中村国男君も、その頃はもう、眉山軒の半常連くらいのところになっていて、そうして眉山は、彼を中村|武羅夫《むらお》氏だとばかり思い込んでいた。
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