た。いや、案外、小説がメシより好き、なんて言っている連中には、こんな眉山級が多いのかも知れない。それに気附かず、作者は、汗水流し、妻子を犠牲にしてまで、そのような読者たちに奉仕しているのではあるまいか、と思えば、泣くにも泣けないほどの残念無念の情が胸にこみ上げて来るのだ。
「とにかく、その雑誌は、ひっこめてくれ。ひっこめないと、ぶん殴るぜ。」
「わるかったわね。」
と、やっぱりニヤニヤ笑いながら、
「読まなけれあいいんでしょう?」
「どだい、買うのが馬鹿の証拠だ。」
「あら、私、馬鹿じゃないわよ。子供なのよ。」
「子供? お前が? へえ?」
僕は二の句がつげず、しんから、にがり切った。
それから数日後、僕はお酒の飲みすぎで、突然、からだの調子を悪くして、十日ほど寝込み、どうやら恢復《かいふく》したので、また酒を飲みに新宿に出かけた。
黄昏《たそがれ》の頃だった。僕は新宿の駅前で、肩をたたかれ、振り向くと、れいの林先生の橋田氏が微醺《びくん》を帯びて笑って立っている。
「眉山軒ですか?」
「ええ、どうです、一緒に。」
と、僕は橋田氏を誘った。
「いや、私はもう行って来たんです。」
「いいじゃありませんか、もう一回。」
「おからだを、悪くしたとか、……」
「もう大丈夫なんです。まいりましょう。」
「ええ。」
橋田氏は、そのひとらしくも無く、なぜだか、ひどく渋々《しぶしぶ》応じた。
裏通りを選んで歩きながら、僕は、ふいと思い出したみたいな口調でたずねた。
「ミソ踏み眉山は、相変らずですか?」
「いないんです。」
「え?」
「きょう行ってみたら、いないんです。あれは、死にますよ。」
ぎょっとした。
「おかみから、いま聞いて来たんですけどね、」
と橋田氏も、まじめな顔をして、
「あの子は、腎臓結核《じんぞうけっかく》だったんだそうです。もちろん、おかみにも、また、トシちゃんにも、そんな事とは気づかなかったが、妙にお小用が近いので、おかみがトシちゃんを病院に連れて行って、しらべてもらったらその始末で、しかも、もう両方の腎臓が犯されていて、手術も何もすべて手おくれで、あんまり永い事は無いらしいのですね。それで、おかみは、トシちゃんには何も知らせず、静岡の父親のもとにかえしてやったんだそうです。」
「そうですか。……いい子でしたがね。」
思わず、溜息と共にその言葉が出て、僕は狼狽《ろうばい》し、自分で自分の口を覆《おお》いたいような心地がした。
「いい子でした。」
と、橋田氏は、落ちついてしみじみ言い、
「いまどき、あんないい気性の子は、めったにありませんですよ。私たちのためにも、一生懸命つとめてくれましたからね。私たちが二階に泊って、午前二時でも三時でも眼がさめるとすぐ、下へ行って、トシちゃん、お酒、と言えば、その一ことで、ハイッと返事して、寒いのに、ちっともたいぎがらずにすぐ起きてお酒を持って来てくれましたね、あんな子は、めったにありません。」
涙が出そうになったので、僕は、それをごまかそうとして、
「でも、ミソ踏み眉山なんて、あれは、あなたの命名でしたよ。」
「悪かったと思っているんです。腎臓結核は、おしっこが、ひどく近いものらしいですからね、ミソを踏んだり、階段をころげ落ちるようにして降りてお便所にはいるのも、無理がないんですよ。」
「眉山の大海《たいかい》も?」
「きまっていますよ、」
と橋田氏は、僕の茶化すような質問に立腹したような口調で、
「貴族の立小便なんかじゃありませんよ。少しでも、ほんのちょっとでも永く、私たちの傍にいたくて、我慢に我慢をしていたせいですよ。階段をのぼる時の、ドスンドスンも、病気でからだが大儀で、それでも、無理して、私たちにつとめてくれていたんです。私たちみんな、ずいぶん世話を焼かせましたからね。」
僕は立ちどまり、地団駄《じだんだ》踏みたい思いで、
「ほかへ行きましょう。あそこでは、飲めない。」
「同感です。」
僕たちは、その日から、ふっと河岸《かし》をかえた。
底本:「太宰治全集9」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年5月30日第1刷発行
1998(平成10)年6月15日第5刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年1月23日公開
2005年11月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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