不思議でなりませんでした。
 病院に着いて、あの人と一緒に待合室へはいってみたら、ここはまた世の中と、まるっきりちがった風景で、ずっとまえ築地の小劇場で見た「どん底」という芝居の舞台面を、ふいと思い出しました。外は深緑で、あんなに、まばゆいほど明るかったのに、ここは、どうしたのか、陽の光が在っても薄暗く、ひやと冷い湿気があって、酸《す》いにおいが、ぷんと鼻をついて、盲人どもが、うなだれて、うようよいる。盲人ではないけれども、どこか、片輪の感じで、老爺老婆の多いのには驚きました。私は、入口にちかい、ベンチの端に腰をおろして、死んだように、うなだれ、眼をつぶりました。ふと、この大勢の患者の中で、私が一ばん重い皮膚病なのかも知れない、ということに気がつき、びっくりして眼をひらき、顔をあげて、患者ひとりひとりを盗み見いたしましたが、やはり、私ほど、あらわに吹出物している人は、ひとりもございませんでした。皮膚科と、もうひとつ、とても平気で言えないような、いやな名前の病気と、そのふたつの専門医だったことを、私は病院の玄関の看板で、はじめて知ったのですが、それでは、あそこに腰かけている若い綺麗な映画俳優みたいな男のひと、どこにも吹出物など無い様子だし、皮膚科ではなく、そのもうひとつのほうの病気なのかも知れない、と思えば、もう皆、この待合室に、うなだれて腰かけている亡者たち皆、そのほうの病気のような気がして来て、
「あなた、少し散歩していらっしゃい。ここは、うっとうしい。」
「まだ、なかなからしいな。」あの人は、手持ぶさたげに、私の傍に立ちつくしていたのでした。
「ええ。私の番になるのは、おひるごろらしいわ。ここは、きたない。あなたが、いらっしゃっちゃ、いけない。」自分でも、おや、と思ったほど、いかめしい声が出て、あの人も、それを素直に受け取ってくれた様子で、ゆっくりと首肯《うなず》き、
「おめえも、一緒に出ないか?」
「いいえ。あたしは、いいの。」私は、微笑んで、「あたしは、ここにいるのが、一ばん楽なの。」
 そうしてあの人を待合室から押し出して、私は、少し落ちつき、またベンチに腰をおろし酸っぱいように眼をつぶりました。はたから見ると、私は、きっとキザに気取って、おろかしい瞑想《めいそう》にふけっているばあちゃん女史に見えるでしょうが、でも、私、こうしているのが一ばん、らくなんで
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