暮天《やぼてん》でも、奇妙に、詩というものに心をひかれて来るものらしい。辞世の歌とか俳句とかいうものを、高利貸でも大臣でも、とかくよみたがるようではないか。
 鶴は、浮かぬ顔して、首を振り、胸のポケットから手帖を取り出し、鉛筆をなめた。うまく出来たら、森ちゃんに送ろう。かたみである。
 鶴は、ゆっくり手帖に書く。

  われに、ブロバリン、二百錠あり。
  飲めば、死ぬ。
  いのち、

 それだけ書いて、もうつまってしまった。あと、何も書く事が無い。読みかえしてみても一向に、つまらない。下手《へた》である。鶴は、にがいものを食べたみたいに、しんから不機嫌そうに顔をしかめた。手帖のそのページを破り捨てる。詩は、あきらめて、こんどは、三鷹の義兄に宛《あ》てた遺書の作製をこころみる。

  私は死にます。
  こんどは、犬か猫になって生れて来ます。

 もうまた、書く事が無くなった。しばらく、手帖のその文面を見つめ、ふっと窓のほうに顔をそむけ、熟柿《じゅくし》のような醜い泣きべその顔になる。
 さて、汽車は既に、静岡県下にはいっている。
 それからの鶴の消息に就いては、鶴の近親の者たちの調
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