すれた声で呟《つぶや》くように言い、リュックを背負っておろおろ寮を出る。
 まず、井の頭線で渋谷に出る。渋谷で品物を全部たたき売る。リュックまで売り捨てる。五千円以上のお金がはいった。
 渋谷から地下鉄。新橋下車。銀座のほうに歩きかけて、やめて、川の近くのバラックの薬局から眠り薬ブロバリン、二百錠入を一箱買い求め、新橋駅に引きかえし、大阪行きの切符と急行券を入手した。大阪へ行ってどうするというあても無いのだが、汽車に乗ったら、少しは不安も消えるような気がしたのであった。それに、鶴はこれまで一度も関西に行った事が無い。この世のなごりに、関西で遊ぶのも悪くなかろう。関西の女は、いいそうだ。自分には、金があるのだ。一万円ちかくある。
 駅の附近のマーケットから食料品をどっさり仕入れ、昼すこし過ぎ、汽車に乗る。急行列車は案外にすいていて、鶴は楽に座席に腰かけられた。
 汽車は走る。鶴は、ふと、詩を作ってみたいと思った。無趣味な鶴にとって、それは奇怪といってもよいほど、いかにも唐突きわまる衝動であった。たしかに生れてはじめて味う本当にへんな誘惑であった。人間は死期が近づくにつれて、どんなに俗な野暮天《やぼてん》でも、奇妙に、詩というものに心をひかれて来るものらしい。辞世の歌とか俳句とかいうものを、高利貸でも大臣でも、とかくよみたがるようではないか。
 鶴は、浮かぬ顔して、首を振り、胸のポケットから手帖を取り出し、鉛筆をなめた。うまく出来たら、森ちゃんに送ろう。かたみである。
 鶴は、ゆっくり手帖に書く。

  われに、ブロバリン、二百錠あり。
  飲めば、死ぬ。
  いのち、

 それだけ書いて、もうつまってしまった。あと、何も書く事が無い。読みかえしてみても一向に、つまらない。下手《へた》である。鶴は、にがいものを食べたみたいに、しんから不機嫌そうに顔をしかめた。手帖のそのページを破り捨てる。詩は、あきらめて、こんどは、三鷹の義兄に宛《あ》てた遺書の作製をこころみる。

  私は死にます。
  こんどは、犬か猫になって生れて来ます。

 もうまた、書く事が無くなった。しばらく、手帖のその文面を見つめ、ふっと窓のほうに顔をそむけ、熟柿《じゅくし》のような醜い泣きべその顔になる。
 さて、汽車は既に、静岡県下にはいっている。
 それからの鶴の消息に就いては、鶴の近親の者たちの調
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